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■見ごたえあったソウル五輪代表選考会となった大阪国際女子マラソンを思い出しました!

※画像はイメージです。

日曜日の夜から右足くるぶしの下あたりが、歩くと痛く、金曜日の朝ラン以来、休足してしまっている晩酌ランナー1号です。何かにぶつけた等は無いのですが、歩くときに痛みます…。動かさなければ痛みませんので、塗薬と湿布で少し様子をみようと思います。
話は変わりますが、日曜日の大阪国際女子マラソンの松田瑞生選手の走りは素晴らしかったですね!今年の東京五輪女子マラソン代表の最後の1枠を争う緊張感のある大会で、2時間22分22秒の派遣設定タイムを更新し、そして優勝という最高の結果を出されました。3月に開催される名古屋ウィメンズマラソンで松田瑞生選手の今回のタイム2時間21分47秒より速いタイムでゴールする日本人選手がいなければ、3人目の東京五輪女子マラソン代表は松田瑞生選手に決定することになります。
4年に1度の五輪代表の選考会となると、レースにかける選手の思いや闘志が画面を通じて伝わってきて、こちらも込み上げれる感情も出てきてしまいます。
今から32年前の1988年の大阪国際女子マラソンも、その年の9月に開催されるソウル五輪の代表選考レースとなっていて、当時の有力選手のほとんどが出場し、一発勝負の様相でレースが繰り広げられたのを思い出しました。今回の大阪国際女子マラソンの解説をされていた増田明美さんも選手として走りました。今ではプチ情報満載の名解説者(笑)となっておりますが、当時は女子マラソン日本記録保持者で、ロス五輪代表にも選ばれた日本女子長距離界の第一人者でした。ソウル五輪の選考会となったこの大会はケガの影響で万全の状態ではなく上位争いには加われませんでしたが…。
1988年のレースは、スタートからハイペースでオーストラリアのリサ・マーチン選手が引っ張り、序盤は日本の浅井えり子選手と宮原美佐子選手がリサ・マーチン選手のハイペースについていく展開となりました。宮原選手は、5kmすぎには後半を考えてなのかペースを少し落としてトップから離れますが、浅井選手はハイペースのトップに頑張ってついていきます。しかし、10km手前では、浅井選手もついていけずに離れ、リサ・マーチン選手の独走となり、レースの見どころは代表選考会となっている日本人選手の上位争いになっていきます。20km通過時点では2位を走る浅井選手と3位の宮原選手とは34秒差、25km通過時点でも25秒差と、まだ差がある状態でしたが、20~25kmの5kmのスプリットタイムが初めて宮原選手の方が速くなりました。すると徐々に差が縮まり29kmすぎに、とうとう宮原選手が浅井選手に並び、お互いの呼吸を気にしながらの並走が始まります。途中で宮原選手が軽く揺さぶるように仕掛けたりしますが、浅井選手も必死に食らいつき、デットヒートが続いていきます。しかし、画面を見ていると前半からハイペースで走ってきた浅井選手の方が消耗が激しいように見えました。そして35kmすぎの給水ポイントを過ぎたところで宮原選手が一気にスパートをかけます。やはり消耗が激しいのか、浅井選手は追いかけることができず引き離されていき、2人のデットヒートは終わりとなります。宮原選手はそのまま走り切り日本人女子選手初の2時間30分切りとなる2時間29分37秒の日本記録でゴールします。宮原選手とデットヒートを繰り広げた浅井選手は、引き離されてからはペースが落ちてしまい、一時は3分以上の差をつけていたマラソン2度目の荒木久美選手にも競技場のゲート手前50mくらいで抜かれ、さらにゴール手前の直線でも残り30~40mの地点でよろめき、倒れ込み、そして起き上が り、なんとか4位でゴールするという精根尽き果ててという感じでした。このレースは、とても激しいレースで、見ごたえのあるマラソンだったので記憶に残っています 。ちなみに、ソウル五輪のマラソン代表は、結局はこのレースの日本人1位~3位の宮原選手、荒木選手、浅井選手の3人に決まりました。当時は東京国際女子マラソン、大阪国際女子マラソン、名古屋国際女子マラソンの3大会での順位やタイムをもとに五輪代表を選出していましたので、この大会の上位3人が選ばれたということは、ハイレベルなレースであったことが分かると思います。
32年前の大阪国際女子マラソンは、オリンピック代表をかけた激しいデットヒートが繰り広げられ、そして宮原選手が日本人女子として2時間30分以内でマラソンを走りきった歴史的な大会だったことを思い出しました。

本日は以上になります。最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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